つんく、癌の病気で声帯を摘出していた!嫁が支えた手術の舞台裏とは
2015年4月。自身がプロデュースした近畿大学の入学式にて、つんくは自身を蝕んでいたある病気への決断を発表し、大勢の人を驚かせました。その発表とは喉頭癌の治療のため声帯を摘出し、声を失ったことです。
歌手の命ともいえる「声」。それを失うなんて歌手としてこれほどつらいことはありません。しかし、それを捨てても生きなければいけない理由がつんくにはありました。
2006年に結婚した嫁である出水加奈子、そして3人の子ども。家族を残して命を捨てることはできなかったのです。
喉頭癌との闘い…実は病気が再発していた
つんくが自身の病気、喉頭癌を発表したのは2014年の3月のこと。当時の発表では、早期の喉頭癌で、治療をすればまた歌えるようになるとのことでした。
そしてこの時点で、もう7〜8年ほど喉に違和感を覚えながら仕事や生活をしていたことも告白します。確かに2007年の「ソロモン流」に出演した際は「のどに原因不明の病気を抱え、歌を歌う際に高い声が出しづらくなっている」、「専門医の検査を受けたが治療法が見つからない」と答えていました。
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ですが2000年に活動休止をしたシャ乱Qが2006年に活動再開したばかり、当時は休んでいる暇なんてなかったのでしょう。これ以降も、多少の無理をしてでも歌を歌っていたのではと噂されています。
病気の公表後、癌の治療は順調に進んでおり、9月にはいったん「完全寛解」も発表されました。完全寛解とは、医療用語で癌の徴候がすべて消失すること。つまり、癌は完全になくなったということです。
しかし、のどの痛みや晴れがなかなか消えなかったため、改めて検査をしたところ、なんと癌が再発見されてしまいました。そして10月上旬、再手術を行い病気の原因となる声帯を摘出します。
つんくが声帯摘出に踏み切ったのは嫁の存在!闘病生活の様子は
この近畿大学の入学式ではつんくはこのような言葉を新入生に伝えます。「一番大事にしてきた声を捨て、生きる道を選びました」。この言葉が大型スクリーンに映し出されたとき、会場がシーンと静まりかえっていたのが印象的ですね。
そして、つんくには声を捨てでまで生きなければならない理由があるのです。最愛の嫁である出水加奈子、そして3人の子どもたち。夫として、父として、ここで命を捨てるという選択肢を選ぶことはできませんでした。
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とくに嫁は闘病生活を献身的に支えてくれていました。料理がとても上手で、その腕前はつんくのブログにもアップされています。病気療養中は嫁の料理のアップばかりでほかの話題がほとんどなかったことから、嫁がブログを代筆しているのではという噂もあったほどです。
子どもはまだまだ育ちざかり、しかも初めての子どもは双子です。つんくが39歳の時に初めてできた子ども。噂によるとかなり溺愛しているとか。
昔なら歌手として生きる道を選び、声帯を摘出するなんて考えなかったかもしれません。しかし今では守るべき家族がいるのです。
つんくは声を取り戻せるのか?現在は猛特訓中との噂も
先ほど病気により声帯を摘出した際のメッセージを紹介しましたが、実はこの言葉の後には続きがあります。その言葉は「また振り出しです」というもの。つまりあきらめていないのですね、声を出すことを。
どうやら声帯がなくても、食道発声法という方法で声を出すことができるという噂もあります。もちろん簡単に会得できることではないでしょうし、それができても以前のように歌を歌えるかはわかりません。
しかし、本人は新たなつんくの出発点であると前向きに考えています。文字通り「振り出し」からですが、病気からの完全復帰という意味でも、いつか彼の声が聞ける日を楽しみにしています。