矢沢永吉は在日韓国人?ジョニー大倉や内田裕也との伝説エピソードも

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ロック界のスーパースター矢沢永吉

ジョニー大倉たちとキャロルを結成後、内田裕也と関わったことでメジャーデビューを果たしました。

その一方で、彼の極貧生活から納税額NO1に成り上がるまでの経緯はまさに伝説と言うほかないでしょう。

しかしそんな永ちゃんに「韓国出身・在日」といった噂が付きまとっているのをご存知でしたか?

気になったので、今更ながら深堀りしてみました!

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矢沢永吉が「在日韓国人」と言われるワケ

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まず一般的に、在日疑惑には2通りあることを知っておきましょう。

・親や兄弟が韓国・朝鮮系の名前を使って日本で生活している

・戸籍が分かるパスポートや住民票が日本のものではない

しかし矢沢永吉の在日疑惑は単なる「噂」に過ぎませんでした。彼は戦後の混乱期に広島で育ち、横浜でバンド活動をスタート。

当時からヤンチャなファンが親衛隊として付くようなアンダーグラウンドな存在で、ファンいわく矢沢永吉は昔から全然変わっていないようです。

ですが、必然的に差別的な呼称として一部の人から「在日」「韓国出身」とレッテルを張られることに…何故こんな噂が流れてしまったのか?

矢沢永吉が在日韓国人だと疑われた理由…それは彼自身のビッグマウスにあったみたいです。

当初から新人でありながら、日本人的な奥ゆかしさや謙虚さがなく「オレはビッグになってやる!」と公言していたことが発端とのこと。

要は「生意気だから在日」と言われたワケです。少々こじつけな気もしますが…

ちなみに身元が分かるパスポートも公開されており、韓国出身と言うのは単なる噂レベルの話でした。

 

ジョニー大倉と組んだキャロルに内田裕也のプロデュース

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矢沢永吉は幼少期、父親が早くに亡くなって祖母に育てられたとのこと。家がものスゴく貧しかったため、握り飯を新聞紙に包んで学校に持参していたそうです。

極貧のため金持ちになることが夢だったようで、彼にとってはまさに「ビッグ=金持ち」だったのでしょう。

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卒業後はビッグを追い求めて上京。横浜の場末で歌いながら後に知り合ったジョニー大倉(写真)と共にデビューしたのです。

当初の「キャロル」はジョニー大倉とのツインボーカルでしたが、その後、内田裕也に見出されたことでメジャー進出にも成功!

ミッキーカーチスのプロデュースで売り出して人気を博しますが、さらに内田裕也からオファーを受けた篠山紀信らのサポートもあって今の「英ちゃん」像が確立したのです。

ちなみに、バンドメンバーの中では矢沢永吉だけが大口を叩くスタイル。

きっとこんな態度から在日や韓国関連の噂が出たのでしょう…

 

ジョニー大倉との別れが「矢沢伝説」の始まりだった

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人気絶頂のキャロルでしたが、ある日、メンバーのジョニー大倉が突然の失踪…

実際には強制入院だったわけですが、この騒動による世間への影響が大きく矢沢永吉はバンドの解散を決意しました。

ソロ活動を決断するまでは寝ずに悩んだと明かしていましたが、後々考えればこのジョニー大倉との離別が「矢沢伝説のスタートだった」と言っても過言ではありません。

ソロデビューが行われた武道館はいきなりの超満員!が、矢沢永吉は目標としてきた武道館でのコンサートを達成したことで抜け殻のような状態に…

その後、彼は逃げるように渡米。それを知らないファンは米国が矢沢永吉の次なる伝説の地だと期待していたのです。

しかし矢沢永吉は異国の地で出会ったアーティストの影響からか、従来の音楽テイストを変更。結果、これまでのファンすら排除していくことに…

当然、内田裕也がプロデュースした矢沢永吉のイメージも一変してしまいました。しかしこれが功を奏して、永ちゃんを知らない年代にもリスペクトされる存在になったのです。

無鉄砲すぎる人物に違いないものの、最終的に人を惹きつけていく彼の人生はまさしく伝説そのもの。

現在も全く衰えを見せない矢沢永吉。今後も多くの伝説を作っていくことを期待しています。

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